第六章 躍る咎人


「まぁ……そんなことが?」
 領主の館、応接間のテーブルに紅茶のカップを置きながら、フェリシテは対面に座るイェンを見遣った。イェンはフェリシテの言葉に頷く。
「ああ、恐らくは間違いではない」
「そうですか、分かりました。その旨、街の警邏隊に伝えておくことにしましょう」
 昼下がり。今朝見かけた人影の件、以前もその視線は感じそのときは気のせいであろうと忘れていたことなどをフェリシテに告げに、イェンはリアを伴い領主の館まで来ていた。
「私は気付かなかったですけど……?」
「……まぁ、寝ていたからな」
 話を聞いて少し驚きながら首をかしげるリアに、イェンは苦笑しながら肩をすくめる。その言葉を受けてリアは「うー」とかうなりながらテーブルに「の」の字を書き始め、二人の様子にくすくすと笑いを漏らすフェリシテ。
 イェンは少しの決まり悪さを咳払いで誤魔化すと、フェリシテに軽く頭を下げた。
「手数をかけるな」
「いえ、領主としては領民の安全を確保するのは当然ですから。それに……」
 そこまで言ってフェリシテは一度イェンをちらと眺め、その視線にイェンが気付くとふるふると「いえ、何でもありません」と首を振った。そして、後ろを振り返り、いつの間にかそこに立っていた執事に目で合図。クリストファが頷いて応える。
「では、私が警邏隊に伝えてまいりましょう」
 言うが早いか、イェンがまばたきをした次の瞬間には既に、クリストファはその姿を消していた。少々呆気にとられるイェンとリア。フェリシテは「いつもの事です」とばかりにすまし顔で、自分のカップに紅茶のお代わりを注いでいた。
「でも、初めてかもしれません。こうやって領主として頼られたのって」
 紅茶で少し口を湿らせてから、仄かに立つ湯気越しにイェンに言うフェリシテ。イェンは、そのフェリシテの言葉に苦笑する。
「拘っているな、そのことに」
「もう、癖みたいなものですね。良いことではないのかもしれないですけど」
 フェリシテも少し自嘲気味に苦笑し、二口目の紅茶を口に運んだ。イェンもそれに倣うように少し冷めた紅茶を喉に流す。
 しばしの沈黙。リアがクッキーを咀嚼する音だけが聞こえる。
 やがて、その不思議な均衡を破ったのは、フェリシテだった。少し怪訝そうな表情で、尋ねるでもなく、さりとて独り言でもなく言葉を漏らす。
「でも、そんな不穏なこととは無縁の街だったのに、どうしたのでしょうね……」
 フェリシテの言葉に、イェンは答えない。心当たりは、当然ないわけではない。
(いや……街全体ではなく、私の周囲だけを監視していたとするなら、原因は一つしか考えられんが……な)
 ふぅ、とため息を吐く。と、そのイェンの顔をじっと見つめる目があった。そちらに目をやる。今朝自分に向けられていた鋭い視線とは真逆の、少しのほほんとすらしている瞳がそこにあった。じっと、イェンを見つめているのは、隣に座っている金髪の少女。
「……どうした、リア?」
「あ、いえ……その、えっと……あ、クッキーいります?」
 イェンに問われ、リアは慌てて彼から視線を外すと、テーブルの上に置かれたお茶請けのクッキーの入った皿を引き寄せる。
「……いや」
 イェンは頬を掻きながら応える。「あ、そ、そうですか……」などと言いながら皿をまた中央に戻し、リアは今度はフェリシテのほうを向く。
「あ、えっとフェリシテさん。何でしたっけ」
「はい?」
 突然話を振られ、少し面食らった表情で聞き返してしまうフェリシテ。イェンは、ふぅとため息を吐きながらリアのほうに体を向ける。
「リア、落ち着け」
「あ、は、はい……」
 イェンに諭され、リアは肩を縮こまらせながらその場に小さくなる。一連のリアの行動に、イェンは少しだけ怪訝そうな顔。
「ふふ……」
 そんな二人を見て、フェリシテはやはり笑いを漏らす。二人を交互に眺めながら、
「まるで兄と妹みたいですね、お二人」
「何をバカな」
 イェンはフェリシテの言葉に苦笑し、紅茶のカップを少し揺らす。水面に波紋が広がり、すぐに鎮まっていった。
「……だが、まぁ出来の悪い妹、のようなものなのかもしれんな」
 あるいは娘、とは言えない。実年齢を考えるとそちらのほうが近いのだが、無用の混乱を招いても仕方ないだろう。それでなくても、この話題は少々話しにくい。
 ふぅ、とイェンは息を吐き、話題を変えた。
「しかし……まぁ確かにここ最近で急に不穏になってはきているな。フェリシテも外に行くときには気をつけたほうがいいかもしれん」
 自分の周りが洗われているということは、対象にフェリシテも含まれていてもおかしくはない。人影の監視が、イェンの想像しているとおりの理由であるなら。
 その意図とは恐らくズレがあるであろうが、フェリシテもイェンの言葉に頷いた。
「そう、ですね。そういう人がいるとなると、水浴びなんかにも……」
 そこで、フェリシテは独り言のように呟いた言葉を止めてしまう。イェンがちょうど覗いてしまったときのことを思い出しているのだろうか。そう思ってしまうと、イェンの方も少々気恥ずかしくなってきてしまった。なんとなく二人とも赤面したまま黙りこくる。
「え、と……その、私は気にしてませんので……別に、その」
「あ、ああ……」
 顔は紅潮したままで、おずおずと言うフェリシテに、イェンの返事も少々ぎこちない。そのまま、お互い言葉を捜しながら何も浮かばない。
 しばしの沈黙の後、フェリシテが未だ紅潮する顔をイェンから少し逸らしながら。
「あの……えっと、申し訳ないんですけど、そろそろ公務のほうに……」
 フェリシテの言葉を聞いて、イェンは密かにほっと安堵する。隣でなぜかぶーたれている少女に目配せで合図をすると、テーブルの上にカップを置き、立ち上がる。リアも慌ててそれに倣い、立ち上がった。
「忙しいところ、邪魔をしたな」
「い、いえ……警邏隊にはクリストファがきちんと伝えてくれると思いますので」
 こほん、とお互い咳払いをする。玄関まで送るというフェリシテの申し出を断ると、イェンはリアと共に、少し早足で領主の館を出て行ったのだった。


 フェリシテの館を離れ、イェンとリアは町の中央通りを歩いていた。
「やれやれ……これで街の警邏が巡回してくれれば、少しは安心できるか」
 イェンは、はぁとため息をつきながらつぶやく。もしかしたら気休めかもしれない、しかしこれから悪くなることはあるまいと、差し当たりの安心の材料にすることはできるだろう。
「さて、と……これからどうするか」
 頭を掻きながら、イェンは隣を歩くリアを振り向く。
「はい……?」
 三白眼だった。明らかに不機嫌です、なオーラを放つリアに、イェンはたじろぐ。領主の館を出るときに多少むくれていたのは覚えているが、まだそのままだったのか。
「なんだ、リア……どうした?」
 少しリアの顔を覗き込むようにしながら、イェンは尋ねる。リアは、イェンの視線から逃れるように顔を背けた。しばしそのまま膠着状態が続くが、やがて憚るようにしながら、リアが口を開いた。
「私は……出来の悪い妹ですから」
「あー……」
 その言葉に、イェンは思わず苦笑してしまう。そのイェンの様子に、リアはさらにそっぽを向いてしまった。イェンは肩をすくめる。
「気にするほどのことではなかろう。お前はよくやってくれている」
「……でも」
 未だもごもごと口の中で何かを言うリア。イェンはやれやれと頭を掻き、ぽんぽんと、リアの頭に手を置く。撫でる、と言うには粗野な仕草。
「悪かった。お前を出来が悪いなどと思ってはいない」
「あ……えと……」
 リアの表情から、険しさが消えていく。代わりに、体の中のほうから顔まで徐々に熱を帯びていくのを感じて、リアは慌ててイェンの手から逃れた。
「っと、リア?」
「あ、その……あの、ごめんなさい……なんか、あの、変に不機嫌になっちゃって、その……」
 ごにょごにょと、半分独り言のように口の中で言うリア。イェンは怪訝な表情を浮かべたが、やがてふっと息を吐きながら肩をすくめると、再び歩き出した。
「あ、イェン様……」
「帰ろう。よく考えたら、朝を食べずに来てしまった。朝食……と言うには遅い時間だが、食事にせねば」
 ふっと優しい笑みを浮かべて、イェンが言う。
「リア、食事の支度を頼めるか?」
「……え? あ、は、はいっ……!」
 イェンの言葉に、リアはきょとんとしていたが、やがて思いっきり頷くと、慌てて先を行くイェンの背中を追いかけて駆け出した。
 そして、イェンがそれを止める暇もなく。
「あ、あららあららああらあ!?」
 珍奇な悲鳴を上げながら、リアは地面にべしゃりと倒れこむ。イェンは一度大きく息を吸うと、頭を押さえながら盛大なため息。
「……やはり、不出来と言って差し支えはなさそうな気もしてきたな」
「あうー……」
 鼻を押さえながら涙目で見上げるリアに、イェンは苦笑しながら手を差し伸べた。その手にリアの小さな手がつかまるのを確認してぐっと腰に力を入れ、ぐいっと引っ張り起こす。自然、イェンのすぐそば、息遣いが感じられるような距離にリアは立つことになる。
「……っ!?」
 リアの目が驚きと焦りに見開かれるが、イェンはそんなことには気づきもしない。
「まったく、お前は不用意に走ってはいかんと言っているだろう」
 リアの足元に跪き、スカートについた汚れを叩き払おうとする。が。

 すかっ……。

「っとと……?」
 イェンの手はむなしく宙を切るのみだった。リアは身を翻し、自分でスカートの汚れを叩きながら、「あはは……」とぎこちない照れ笑いを浮かべる。
 イェンは、少し解せないといった顔でそんなリアを眺めていたが、どうやら彼女に外傷もなく、汚れや痛みも問題ないということを見て取ると、ふぅ、とため息を吐きながら立ち上がる。
「次からは気をつけるんだぞ? ……と、何度言ったかもう覚えていないがな」
「うう、面目次第もございません……」
 リアは、両の手の親指と人差し指をいじいじとさせながら頭を垂れた。イェンはもう一度苦笑気味にはぁ、とため息を吐くと、再びゆっくりと歩き出した。

 歩き出したイェンの背中をちらりちらりと見ながら、リアはそっと胸に手を当てた。ずくん、ずくんと静かに、しかしはっきりと痛みを感じる。
(不出来な……のは、いいんです……それは、仕方がない)
 ゆっくり歩くイェンの背中が、やけに遠く感じられた。
(言われてもしょうがないし……私だって、そう思っている。それなのに……なんで、こんなにざわつくんだろう……?)
 誰に問いかければいいのかもわからない疑問が、リアの胸中を走る。
(どうして、こんなに痛むんだろう……?)
 最近感じていた痛みに似ている。でも、今感じている痛みは、今までのものともまた少し違っているように思えた。今までのは、どこか心地よくもあった痛みだった。しかし、今リアの感じているものは、鈍い痛み。
(でも……イェン様は、優しい……)
 ふるふると、頭を振る。じんわりと、頭のてっぺんが暖かくなる。先ほど、イェンに撫でられたところ。そこからゆっくりとリアの全身を、熱が包み込んでいくような感覚。それが、胸の奥を締め付ける痛みをゆっくりと溶かしていくような。
 いつの間に離されたのか、遥か彼方を歩くイェンがくるりと振り返った。
「何をしている。リア、大丈夫か?」
「あ、は、はいっ!」
 名を呼ばれ、リアは思考を打ち切った。今は、考えても答えは出ない。そんな気がした。
 離れてしまったイェンとの距離を縮めようと、ぱたぱたと小走りで駆け出そうとして。
「だから! 走るなと言っているだろう!」
「ひゃいっ!? ったたたたた!?」
 止めたイェンが悪いのか、走ったリアが悪いのか。
 びくりと肩を跳ね上げて返事をするリア。そのまま、リアは足をもつれさせ、再び地面に猛烈な勢いのキスをする羽目になってしまった。


「お帰り」
 門扉の横にぽつんと立っている切り株に腰掛け、くすくすと笑いながら迎えてくれる女性がいた。イェンは頭を抱え、溜息を吐く。
「……何をしているケーテ」
「ふふ、気分は旦那様の帰りを待つ若奥様かしら?」
 悪戯っぽい笑みは崩さずにイェンをじっと見ながら言うケーテ。イェンも、三白眼になって彼女を見つめ返す。何はともあれ、一言つぶやく。
「……若?」

 すぱんっ!

 イェンの前髪が、再び数ミリ短くなった。ぴっぴと手の中で銀色に輝くメスを弄び、その切っ先をイェンの顔に突きつけながら、ケーテはにっこり笑顔。
「もう、冗談が上手になったわね、イェン?」
「……お前の冗談もな」
 イェンも苦笑で返す。ケーテはやれやれと肩をすくめて懐にメスを仕舞うと、後ろにつき従うリアに視線を移す。
「留守だなーと思ったら、朝からお出かけだったのね」
「あ、はい。ちょっとフェリシテさんのところに。……あ、ケーテさん、おはようございます」
 思い出したようにぺこりと頭を下げるリアに、ケーテも笑って「おはよう」と挨拶を返す。それから、すこし眉根を寄せた顔をイェンに向けた。
「領主さまのところに?」
「ああ、少しな」
 とだけ言って、イェンは扉の鍵を開ける。詳しくは言うつもりもなかったし、その仕草だけでケーテは言及するのを諦めたようだった。ふっと笑って肩をすくめるケーテ。
「やっぱり小さい子が好きなのかしら?」

 がつん。

 察してくれてなかったようだった。
 思いっきり扉にぶつけた額をさすりながら、イェンは顔を上げ、ぎっとケーテを睨み付ける。ケーテはただくすくすと笑うばかりだ。
 と、袖を食いくいと引っ張る手。イェンはそちらを振り向く。少し不安げな表情のリアがそこにいた。
「あの……イェン様。ちいさい女の子が好きなんですか?」

 ごつん。

「い、イェン様っ!?」
 そのままの姿勢で扉に倒れこみ、強かに側頭部を打ちつけたイェンの姿に、リアは慌てふためいた。イェンは、そのままがっくりとうなだれ、頭に手を当てる。
「リア……今朝の用事に同席し、会話をすべて聞いていたお前がそれを聞くのか……?」
「あ……えっと、その……気になって」
「気にしなくていい……」
 疲れたようにそう言うと、よろよろと緩慢な動作で扉を開け、気力なく中に入っていった。慌ててリアがその後を追い、ケーテも悪戯っぽい笑みを浮かべたまま中に……。
「……ケーテ」
「朝ごはんまだなのよ」
「……はぁ」
 しれっと言うケーテに今度こそ何を言う気力もなく、イェンはふらふらと家の奥に向かった。

「ああ、そういえばイェン。最近変な人影がこの辺をうろうろしているらしいわよ?」
 遅めの朝食を終え、椅子の背に体重を預けてぼんやりとしているイェンに、ケーテがそんなことを切り出した。
「変な人影?」
「詳しいことはわからないんだけどね、街でちょっと小耳に挟んだのよ。窓の外からこっそり家の中を覗いてた人影があったらしいわ」
「ふむ……」
 イェンはぎぃ、と椅子の背をきしませながら、リアが運んできてくれた紅茶のカップを指先で弄んだ。表面に浮かぶ波をじっと眺める。
「盗賊とかの類かしらね」
 ケーテも紅茶をちびりちびりとやりながらぼんやりと言う。ちなみにリアは食後の紅茶を二人に運んだ後、部屋の隅でパズルに没頭していた。
「むぅー……」
 相変わらずはかどっていないようだった。ピースをじっと見つめ、盤面とにらめっこをし、一つ置いてはまた戻し。そんなことを繰り返している。
 イェンは、そんなリアの様子を眺めて苦笑する。
「まったく……中央からやるのは無理だと言っているのだがな。聞きやしない」
 肩をすくめるイェン。遠目からではつぶさには見えないが、それでも端からやっていないことは何とか見て取れる。しかし、イェンはリアには言わない。
(まぁ……口は出されたくないようだしな)
 イェンが手を出して手伝おうとするのを、体全体で拒んだリアの姿を思い出す。自分の力でやろうというその意地の根拠はわからないが、どうやら自分は放っておいた方がよさそうだった。
 イェンは一度はぁ、と息を吐くと、紅茶を口に含んだ。そして、食卓の対面に座るケーテの方を見遣る。
「その人影の話なら、おそらく私のところだろう」
 イェンの言葉に、ケーテは慌てて顔を上げた。
「え、何、うそ!? イェンにそんなピーピングな趣味が!?」
「……言葉が足りなかった。というか違うから眉をひそめて椅子ごと部屋の隅まで行くな!」
 ずざーと音を立てて一気に遠くなったケーテを、手を伸ばして呼び止めながら、イェンはごほんと一つ咳払いをした。
「だから、その話に出ていた人影は……」
「大丈夫よイェン。私はあなたがどんな趣味を持っていてもあなたの味方だから」
 ケーテが、すごく優しい目だった。イェンはがくりとうなだれる。
「味方だというのなら、少しは話を聞いてくれ……」
「はいはい、冗談冗談。で、何よ?」
 ぱたぱたと手を振りながら笑い、ケーテは食卓に肘をついて先を促した。イェンは、頭を抱えながら、何とか体勢を立て直す。
「今日、フェリシテのところに行っていたのはまさにその件でな。今朝方、何者かが応接間の窓のところから中を窺っていた」
「……へぇ」
「追いかけたのだがな……窓の外で見失ってしまった」
 ふぅ、と苦い顔のイェン。取り逃がしたことの無念もあるだろうが、それ以上にその人影の目的が不安だった。
「この家、金目のものがあるように見えるのかしらね」
「金目のものはないな。悲しいほどに」
 イェンは肩をすくめる。周りを見渡しても、家具調度品の中で金になりそうなものはいくらもなかった。
「見掛け倒しな館なわけね」
「まぁ否定はせん」
 ケーテの物言いに、イェンはただ苦笑するしかない。ふっと溜息を吐くと、目の前の紅茶の残りを飲み干した。
「まぁ、ケーテも気をつけることだ。本当に盗賊の類なら特に、な」
「そうね。私んとこも金目のものはないけど」
 苦笑して、ケーテもイェンに倣って紅茶を飲み干す。そのまま、空のティーカップを指に引っ掛けると、イェンに歩み寄る。
「ケーテ?」
「どうせだからイェンの分も洗ってあげるわよ、カップ」
 にっこり笑ってそう言うと、ケーテはひょいとイェンのカップもその手中に収めた。
「あ、ああ、悪いな……」
「ふふ、なんか昔みたいね」
 両手のカップを掲げながら、ケーテは言う。昔、イェンとケーテがお茶をしていた頃は、イェンが二人分の茶を入れ、ケーテが二人分のカップを洗うのが暗黙の了解だった。
「……戯言だな」
「私もそう思うわ」
 ケーテの笑顔が少しだけ寂しげになる。が、その色はすぐに消え、ケーテは二人分のカップを持って、台所に消えていった。
 イェンは再び椅子の背にもたれかかる。
「じぃー……」
 部屋の隅から視線を感じて、イェンはそちらを見遣った。
「ん? リア?」
「ひゃっ!?」
 慌てて目をそらすリア。何事もなかったかのように、またパズルに没頭し始める。イェンはしばらくその様子を眺めていたが、やがてリアから視線を外す。
(むぅ……最近のリアは解せんな……)
 ふぅ、と溜息を吐いた瞬間だった。

 がしゃあああんっ!!

「っ!?」
 台所の方から、ガラスの割れる大きな音がした。


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