第四章 遥かなる日々


 年も明けて、イェンたちが次の学年に上がるころには、彼もリアの研究所に出入りするようになっていた。成績が評価され、そしてそれ以上に姉の制御能力に期待された。研究の深いところに携わることはできなかったが、それでもその近くに身を置くことでイェンは研究の内容を少しずつ把握していった。
 ちなみに、その研究所に出入りしているということをオリヴァーに知られたとき。

「な、なぜ貴様が許されて俺が許されないんだ!」
「……いや、成績が……」
「く、身内であることを最大限に利用するとは、卑怯極まりないな!」
「利用されてるのはこっち……」
「我々リアさんファンクラブよりも、貴様が優遇されるということがおかしいと思わないのか。いつも邪魔をして」
「いや……だから優遇されては……」
「我々ファンクラブはもはやリアさんの一部といってもよいだろう」
「何でそうなるのか教え……」
「そんなにリアさんと我々を遠ざけたいのか」
「どこがどう飛んでそういう結論になったのか知りた……」
「ふん、話にならないな。所詮話しても無駄だったか」
「……いや、私もそれには同意するが……」

 少し大変であったことを付記しておく。
 まぁそれはともかく。
「姉さん、私は先に行くぞ」
「またケーテちゃんとデート?」
 にやにやしながら言うリアに、イェンは少し目をそらしてぶっきらぼうに言う。
「……言うな」
 この男、どうにも素直にそういったことを口に出せない男らしい。リアは手元の資料をぽんぽんと机で揃えながら、ぶつぶつと。
「あーあ、私は今日もこの書類ちゃんとデートなのに。朝までガチンコ勝負」
「大詰めだな」
「まーねー、大変大変」
 くきくきと首を鳴らすリア。イェンは苦笑する。
「しかし、もうそろそろ姉さんの念願もかないそうじゃないか。今はヒトガタの作り方のマニュアル化をしていると聞いたが」
「……まぁ、そうなんだけど」
 リアの顔からふっと笑みが消えた。その目は、いつもの色ではない。少しの疲れと、決意の色。
「ねぇ、イェン」
「あ、ああ……」
 普段と少し様子の違う姉に、イェンは少しだけ気圧されながらも返事をする。
「コアはコアラかしら」
「……は?」
「いや、単なるシャレだけど」
「……」
 がくん、と。膝から力が抜け、次いで全身から力が抜けた気がした。ふらふらとその場に跪くイェンに、リアはあはは、と笑顔を見せた。
「イェンは、お姉ちゃんの味方になってくれる?」
「……なんか、今はすごくド突きたいから敵になりたい気分だ」
「あはは、怖い怖い」
 やっぱり笑いながら、リアは揃えた書類を足元に放る。イェンも、もはやそれには何も言わない。これはリア流の片付け術なのだと自分に言い聞かせている。
(……欺瞞だ。自分を騙している)
 心の声が聞こえてくる気もしないでもないが、気にして変化があるのは自分の胃の痛みくらいなものだろう。
「それに、姉さんらしくないな」
「……ん?」
 きょとんとした顔の姉に、イェンは苦笑を保ったまま腰に手を当てて嘆息する。
「私が味方か、などと確認するなんて。いつもの姉さんなら、『イェン、味方になりなさい』とこっちの意見なんか聞かずに言ってくるだろうに」
 ……そういう意味では、オリヴァーといい勝負なのかもしれない。などと無駄にどうでもいいことがイェン頭をよぎる。
「……そっか」
「そうだ」
 呟くリアに、イェンはうなずく事で応える。リアが、顔を上げた。その顔は、いつもと同じ笑顔で。
「お姉ちゃんのこと、どう思ってるのかよーく分かったよ」
「……え?」
 気づいたときには遅い。イェンはがっちりと頭を抑えられ、そのままぐいっと姉に引き寄せられた。
 そして、一つの悲鳴が研究所の内部に響き渡った。


「遅くなって、すまなかったな」
「あ、ううん」
 頭を押さえながらよろよろと歩くイェンを支えるようにしながら、ケーテは苦笑する。
「リア姉さんは相変わらず強いね」
「ああ、敵う気がしない」
 肩をすくめ、苦笑するイェン。指の食い込んだこめかみは未だに少し赤い。
「でも、研究のほうは順調なの?」
「らしいな。まだコアを入れた試し運転もしていない状態だが。ガワも中身もできてはいる」
 イェンの言葉に、ケーテはひゅうと口笛を吹いた。驚いたり、感心したときの彼女の癖だ。
「へぇ、じゃあ本当にあとは入れて動かしてみるだけなんだ」
「と、いうことになるのか」
「ちょっと見てみたいかもねー。私は残念ながら成績不振でいけないけど」
「不振というほどでもあるまい。それに、あまり来て楽しいものでもない」
「そうなの?」
 首を傾げるケーテに、イェンはうなずく。
 イェンがホムンクルスの研究所に出入りするようになって感じたもの。その最たるものがそれだった。リアと責任者の不和。互いが互いを牽制しあっているかのような雰囲気。研究者同士は仲が悪いということもないし、リアも生来の明るさでそこに溶け込んでもいる。しかしそこに確かにある、えもいわれぬ緊張、雰囲気。
「オリヴァーとイェンみたいなもの?」
「いや、私は別に彼を牽制したつもりはないんだがな……」
 ケーテがぴっと人差し指を立てながら言う。頭を掻きながら応えるイェン。その手を、不意にケーテが取った。
「お、おい……?」
「な、何よ。文句ある?」
 少し頬を赤らめながら、それでもケーテはイェンの手を放す素振りは見せない。そのまま、イェンの顔ではなくその繋いだ手を見つめるようにしてケーテは言った。
「ホムンクルス……うまくいくといいわね」
「ああ、もう少しで成るからな。ただ、どこまでも姉さん次第だ。あのヒト以外に、こんな突拍子もないことを成し遂げる人間はいなかろう」
「確かに」
 二人、顔を見合わせて笑う。そのまま、ケーテはイェンの手を引っ張って歩き出した。少し体勢を崩しながら、イェンも遅れて歩き出す。そのまま、二人は学院の門をくぐっていった。行き先は、ふもとの町。

「……さて、どうしたもんかなー」
 椅子に寄りかかり、机の上に足を投げ出しながら、資料に目を走らせて、リアは一人呟いた。乱雑に散らかった机の上、そこにぽつんと置いてある赤い宝石を指でピン、とはじく。
「……『生き』られないなら、生まれないほうが幸せかしらね」
 声に応えるように、ランプの明りを反射する宝石。その脈動を指先で感じる。
「いずれにせよ、時間がないとね……考える時間、準備する時間。……さて、十二回目の資料最終チェックに入りますか」
 んー、と一回伸びをしてから、リアは机の上の資料をがさっと胸元に取り上げる。ホムンクルスについて纏め上げた研究資料と、記録の一覧。最終確認をすると言って隅々までチェックしつくした紙の束を、ぎゅっと一度胸に抱きしめ、それから一つ一つに目を通していくリア。目は文字を追っているが、その頭は、別なことを考えているようだった。
 決意に固められた瞳が、ランプの明りに照らし出されていた。

 その日は、空がどんよりと曇っていた。ケーテと寮の前で別れ、オリヴァーに絡まれてそれをスルーし、リアのいる研究所にイェンは急いでいた。
「……一雨くるかも知れんな」
 研究所には傘などないが、いざとなったらそこで夜を明かしても構うまい。イェンは曇天を諦め顔で見上げながら、少しだけ歩を速める。
 学院から歩いて少しのところに、石造りの建物が見えた。明かりが点いているところを見ると、まだ中に誰かいるらしい。イェンはほっとする。正式な研究員ではない彼は、扉の鍵を持っていない。誰もいなければ、当然ながら閉め出しを食う形となる。いつ雨が降るか分からないこの天気の中、外に放置されたいとは思わなかった。
「ふぅ……やれやれ」
 少し荒くなった息を整えながら、イェンは建物の扉をゆっくり押した。開いている。
「……姉さん、いるか?」
 一人つぶやくまでもなく、リアはこの研究所の主のようなものだ。ここに誰かいて彼女がいないなどということは、少なくとも今までのイェンの経験上は一度もなかった。
(ふむ。寝ているかも知れんな……)
 イェンは足音を殺して、研究所を階下まで降りていった。リアがいるとするならばそこしかない。
「む……話し声?」
 部屋の中から聞こえてきた声に、イェンは何故か中に入りづらく、ドアの影からそっと中を窺った。
(姉さんと……あれは、ここの長か……?)
 悪いことだと思いながら、イェンは息を潜めて、聞き耳を立てた。雰囲気が、穏やかではなかった。

「考え直しては、もらえませんか」
 リアはきっと施設長を見据えて言う。それに対して、施設長は少しも動揺することなく、告げた。
「君の尽力には感謝しているがね、方針は変わらん」
「私の研究を……あの子を売るんですか」
「売る、とは言葉が悪いな。君の研究は完成した。それを有効活用させてもらうだけだよ」
「……莫大な寄付金があったと聞きますが」
 壮年の施設長の目がにぃ、と歪んだ。
「相応の対価だよ。君の研究はすばらしかった。だから、どれだけの値段をつけても買いたがる」
「私の研究は、まだ終わっていません」
「いいや、終わりだ」
 きっぱりと、施設長が言葉を遮った。じろりと、見下すようにリアをねめつける。
「もう、あの研究は十分に『使える』よ。そして、研究に『心』などというものはいらない」
「……私は、兵器を作っていたつもりはない……!」
「そちらにそのつもりがなくても、こちらは最初からそういう約束だったのだ。そのための研究費用を受け取っておいて、今更文句を言ってはいかんね、リア=オーリックくん」
 くっくと、笑いすら浮かべながら言う施設長に、リアの視線はますます厳しくなっていた。
「禁忌を、使って」
「禁忌だからこそ、だよ。一般の人間は知りえず、知る者は恐れを抱くだろう。まさに、究極の兵器ではないか」
 満足そうに笑う施設長。
 そのとき、リアが一瞬ちらりとこちらを見たような気がして、イェンは慌てて身を隠した。二人の会話が頭の中をぐるぐる回っている。うまく整理できないまま、イェンは暴れる心臓を押さえつけた。
 再び、中から声。イェンは慌てて、再びドアのそばに近づき、耳をそばだてた。
「……施設長。これが、なんだか分かりますか」
 ばさり、と紙の束を取り上げる音。イェンは再び中を覗き込む。
「今までのホムンクルスの研究資料と、この施設の予算報告書です」
「それが、どうしたのかな?」
 施設長は笑うことをやめ、リアの手中の紙を目で追った。
「禁忌指定の研究を、国の特定機関の援助を得て執り行っていたと表沙汰になったら、どうなるでしょうね?」
「……なに?」
「生きる量産兵器としてホムンクルスを使おうというなら、私はこれを然るべきところに報告しようと思います」
「な……っ!?」
 施設長の目が見開かれる。まったく埒外であることを言われたかのように、口の中で意味を反芻していた。そして、搾り出すように言う。
「そ、そんなことをすれば……お前だってただでは済まないぞ……?」
「構わない。この子達に生まれながらに罪を背負わせるくらいなら、それを私が背負って裁かれることだって厭いません」
 毅然と言うリア。施設長は歯噛みをしていたが、やがて諦めたようにがっくりとうなだれた。
「……分かった。見合わせるように騎士団上層部に掛け合おう……」
 その言葉に、リアは満足そうにうなずいた。そして、手中の紙をパタパタやりながら。
「これがなければ、量産だってできませんよね。ここに、作り方は全部書いているんだから」
「……く」
 そう告げるとリアは、それを小脇に抱えてくるりと踵を返した。
 途端。

 ずんっ……!

 重く、鈍く。錐がなにか堅く柔らかいものを貫くような音。
「リア君。人を信頼してはいかんな……君が関わっていたのは、そういうレベルの研究なのだ。自覚が、足りなかったようだな」
 にやり、と歪んだ施設長の口から言葉が投げかけられる。しかし、リアには聞こえているのか。ただ、己の腹から突き出した、赤く染まった刃をじっと眺めている。
「……ぅぶっ!?」
 唐突に口を押さえ、リアはその場にひざまづいた。その手の隙間から流れる、赤。
 施設長はサーベルをリアの体から抜き取ると、どんとリアを突き飛ばしその手から紙の束を奪った。
「実験中のまことに不幸な事故だった。信じられないことも、起こるものだな」
 辺りを血だらけにしてそこにへたり込むリアにそれだけを言うと、施設長はばたばたと立ち上がり、扉の影のイェンにまったく気づかなかったのだろうか。そのまま逃げるように外へ走り出て行った。

(な……にが……?)
 それを息を殺して見送りながら、イェンは真っ白な頭を懸命に振り払った。
(……そうだ! 姉さん!)
 いまだ頭の中は混沌としていたが、それだけを思い出し、足をもつれさせながらも姉のいる暗い実験室に入った。
「姉さん!」
 薄暗い中、ランプに照らされるようにしてその場にうずくまる姉。イェンは、何が起こってるか理解できないまま駆け寄った。
「姉さん、姉さん!」
 背中に手を回して姉の体を支え、呼びかける。その手が、熱いものに包まれた。べったりと血のついた手。
「イェン……」
「姉さん、今、手当てを……!」
 立ち上がろうとするイェンの袖をつかむリア。
「ぅ……こほっ……イェン、やっぱりいたんだ。あー……よかった、気のせいじゃ……なくて」
「気づいてたのか……というか、だから手当てを」
「イェン……聞いてた、なら……分かるでしょ。……『あの子』を、兵器に……させないで……」
 喉に絡まる血に苦しそうにしながら、リアは言葉をつむいでいく。じっとイェンを見つめながら、力強く、自分の意思を託すように。
「あの、研究資料は……うそ、だから……本物は、コアと……一緒に……けふっ……」
「姉さん……! やはり手当てを」
「馬鹿ッ!」
 弱弱しく、イェンの頬をぴたんと叩くリアの手。そのまま、顔を撫でてくる。
「……お願い、イェン……『あの子』に、罪を……背負わせないで……生まれるなら、幸せでないと……不幸になる、ために……生みだすなんて……そんな、残酷なことを……私に、させないで……」
「姉さん……」
 イェンに、にっこりと優しく微笑むリア。その目から、一筋、雫がこぼれる。
「……ごめんね……お姉さんらしいこと、イェンに……何も、して……あげられなくて」
「何を言う……私にとって、姉は姉さんしか、いない……ずっと、リア姉さんらしく……してくれて、いた」
 ともすれば爆発しそうになる感情をこらえるように、震える声でイェンは答えた。その言葉を聴いて、リアはもう一度、イェンの顔に手を伸ばす。
「本当……あの子を……おね、がいね……コアの、場所……は……分かる、よね……イェン……おね、が……」
 そこまで、聞いた。リアの手は、イェンの顔に届くことは、なかった。
 胸に開いた穴からは、未だに赤い血があふれている。床一面を赤く染め上げるその中で、リアは静かに目を閉じていた。口は未だに開かれていて、言葉の続きが今にも飛び出してきそうだ。……それでも、次の言葉は、出てこなかった。
 真っ赤な床に、服も何もかもが汚れることも気にせずに、イェンはリアの体を抱き上げ、しばし呆然とその場にへたりこむことしかできなかった。
 しかし、いつまでも呆としているわけにもいかない。イェンは、未だ混乱する頭のまま、ただよろよろと立ち上がる。部屋の隅にちょこんと置いてあるコアラの貯金箱。それを手に取ると、床にたたきつけた。

 がしゃんっ!

「……やはり、か」
 中から、幾重にも折りたたまれた紙の束と一緒に出てきた、赤い宝石。イェンはそれを取り上げる。リアの命を受け継いだのか、以前よりも熱く、赤くなっている宝石。ぎゅっと握ると、胸のポケットに忍ばせた。
(どうするか……)
 遅かれ早かれ、資料のフェイクには気付くだろう。明日の昼までに気付かれなければ僥倖なくらいだ。だとすれば、今日中、遅くとも明日の朝までには何とかしなければならない。とはいえ、自分の部屋に戻るのも危険だろう。フェイクに気付いたら、おそらく真っ先に踏み込まれるのは自分の部屋だ。だとするならば……。
(……はは、存外に冷静なものだな)
 ふと、自分が落ち着いていることに気付き、笑う。未だに混乱しているのも事実だが、だからこそだろうか、事態を冷静に判断し、考えていた。
 イェンは一度だけ、リアを振り返り、そして駆け出した。外はイェンの予想通り、黒い雨が視界を遮るように降り注いでいた。


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