第四章 遥かなる日々


 姉に無理矢理連れてこられたのは、魔術学部棟の地階。そのさらに下だった。
「こんな場所があったのか……」
「まぁ一応禁忌だからねー」
 軽く言いながら先を行く姉について、イェンも石の階段を下りていく。薄暗い地階のさらに下のはずなのに、何故か階段、および階下は明るく、暖かくすらあった。リアが改良したのか、元々そういうしつらえなのか、すごく過ごしやすい環境。
「さ、ここが私の城よ」
 着いた先には一つの扉。そこに一枚の紙が張ってあった。

『リアちゃんのおへや』

「……あー……」
 イェンは言葉を喪う。しかし、そんなイェンに拘泥することなく、リアはその扉を無造作に開けた。

 がらがらがらがら……

「あっちゃー、やっぱり崩れちゃったかー。ま、いいや。あがってあがって」
「いや、結構すごい音がしたのだが……」
「気にしなくていいからー」
 言いながら、ずんずんと中に入ってしまう。イェンも慌てて後を追った。その先にあったものは。
「姉さん……少しは片付けよう」
「んー、いいのよどこになにがあるかはみんな把握してるしー。やれっつったらこれかき回してもまたこの状態再現できるわよ?」
「……願わくは、片付いた状態を是非に再現してもらいたいものだ」
 イェンは頭を抱えて呟く。がさがさと瓦礫の山を漁りながらリアは応えた。
「片付いているかどうかなんて外観の問題よ。私にとっては、一列に並んでいるものも、雑多に並べられているものも機能的には一緒」
 ぽいぽいと、背面に物を投げていく。それをひょいひょいと避け、足元のものも極力踏まないように(そしてそれ以上になにが落ちているのかを見ないように)イェンもリアに近づいていく。
「あー、あったあった」
 『魔術構造学』と『いぬのきもち』という本の間から、リアは一つの赤い宝石を取り出した。灯りの反射を受けずになお瞬きを見せる拳大の赤い石。
「これは……?」
「これが、私の研究。ホムンクルス、人体の核になるもの」
「……いや、もう場所については何も言うまい」
 どこからか吹いてくる風に髪を任せながら、イェンはガックリとうなだれつつその宝石をリアから受け取る。と、その表情がすぐさま驚きの表情に変わる。
「……熱い」
「そう。そんなのでも、ちゃんと生きている。これを核にして、人体を構成すれば……生きている人間ができるはずよ」
 それは、まさに命だった。イェンの手の中で、ほのかに暖かく、そして微かな輝きを放ちながら、そこにそれは『いた』。
「姉さん……」
 イェンは、微かに震える手で宝石をリアに返す。それを大事そうに受け取ると、リアは一度だけその宝石を胸に抱き、無造作に本の山の上に置いた。
「イェン、あなたは今の勉強が役に立つと思う?」
 くるりと振り向きながら、リアが唐突に尋ねてくる。イェンが応えあぐねていると、リアは笑いながら言葉を接いだ。
「分からないわよね。でも……私は、どれも無駄にしたくなかった。自分が得たものを使って、どれだけのことが出来るのかを試したかった」
 すた、すたと。部屋の中をゆっくり歩きながらリアは語る。聞き手はただ、それを目で追う。
「無理だと、みんな言うわ。でも、私は間違っていない……間違っていないはずなの。そして、私はそれを生み出すに至った」
 それ。イェンはリアの指差す方向に目をやる。言うまでもなく、命の赤い宝石。
「でもね」
 再び、くるりと振り返るリア。黒い髪が、それに少し遅れて弧を描く。そのリアの表情は、すごく優しい笑顔だった。
「それが生きてるって分かったとき、嬉しかった。正しい、間違っている、そんなことじゃなくて……私は、この子を生み出してあげたいと思った。人間として、同じ命を持つ仲間として、生きてみたいと思った」
 慈しむように語るリア。胸の前で手を組み替えたり、脚をぶらぶらと無意味に振ってみたり。その挙動は落ち着かなかったが、その想いは大きく、泰然と。
「本来のホムンクルスは、こーんなちっちゃいもののはずなんだけどね」
 両手で、おおよその大きさを示すリア。大き目のビーカーにすっぽり入りそうな程度の、とても小さな存在。イェンも、文献で知ってはいた。知識を司り、外気に耐えることさえできないほどに純粋な、小さき人の存在。
「でも私は……その子は、私たちと同じような大きさにしようと想ってる。知識より、私たちと共に話し、共に食べ、共に笑い……共に生きられるように」
 その満足げなリアの表情に、イェンはただ魅入られていた。自信と、そして慈愛に満ちた姉の姿。それはとてもむちゃくちゃなことを言っているが、イェンは頷いた。
「そう、か」
「そう、よ」
 応えて、リアは笑う。そして、一度大きく息を吸って、静かに溜め息。
「ふふ、ちょっと話しすぎたかな。この子の身体を精製する頃になると、ここじゃなくて専門の施設に行かなきゃいけないからね。その前に、イェンにだけは話しておきたかったんだ」
「姉さん……」
「さ、もう昼休みも終わっちゃうよ。無遅刻無欠席の優等生君、急ぎたまえ」
 くっくと笑ってリアは言う。そんな姉に、イェンは肩をすくめるともう一度だけその宝石に目をやり、少し早足で部屋を出て行ったのだった。

 その後姿を見送りながら、リアはふっと笑みを消した。
「イェン……もし、私に何かあったら……その時は……」
 その言葉を聴いていたのは、ただ彼女自身と赤い宝石だけだった。



「といった人だったな……」
 話の途中で一息ついて、イェンは組んだ足を解いた。なんか妙な人間も思い出したが、それはこの際気にしないことにしよう。
「『いぬのきもち』……」
 こちらのリアは人差し指同士をつんつんしながら、自分の扱いの不遇に抗議するような目でイェンを見る。そんなリアにイェンは苦笑で返す。
「まぁ、散らかっていることが苦痛な人ではなかったからな」
 頭をかきながら姉を弁護するイェン。リアはむーとなりながらも、人差し指をくるくる絡めあわせ、何度か小さく頷く。
「でも……そうなんですか。その方が、私のお母さん、なんですね」
「そういうことになるな」
 はー、と感心したように何度も「お母さん」とつぶやくリア。
「なーんか懐かしい話をしてるじゃない」
「っ……!?」
 部屋の入り口から聞こえてきた声に、イェンとリアはそろって肩を跳ねさせる。そこに居たのは、想像通りケーテ=ハイニヒェンと。
「……ロッシさん?」
「あははー……リアちゃんこんちゃー……」
 ちょっと決まり悪そうにパタパタと手を振るのは、間違いなくロシェル=フォートリエその人だ。
「何をやっているんだ二人……」
「私はイェンで遊びに来たんだけれど、そうしたらこの子が部屋の前でうろうろしててね」
 ケーテはロシェルを指差しながら言う。慌てて手を目の前でパタパタと振りながらロシェル。
「ち、ちがうのそうじゃなくて! リアちゃんにいろいろ服とか持ってきてあげたんだけども立ち聞きするつもりじゃなくて! いや、興味がないかって言ったらありありなんだけどでも踏み込んで聞かないのが私のポリシーだしっていう……」
「……まったく」
 額に手をやると、イェンは大きくため息を吐く。
「別に、咎めはせんさ。扉を閉めていなかった私と、屋敷に施錠をしていなかったこのリアの責任だ」
「ぴっ?!」
 ぎくりとリアは肩を跳ねさせる。あははと乾いた笑いを浮かべながらイェンの表情を窺うリア。
「でも、本当に懐かしいことを話していたみたいじゃない」
「まぁ、な」
 椅子の背にもたれながら、ケーテの言葉に気もなく応えるイェン。きしきしと鳴る椅子の音に耳を傾ける。
「しかし……本当に大所帯だな今日は」
「いいじゃない、だだっ広い屋敷なんだし」
「だぁね。掃除も大変そう」
 言いながらロシェルは窓の端を指でなぞり、ふっと息を吹きかける。
「ほら、魔術師さん埃」
「掃除はリアの領分だ」
「うん、こんな程度の埃は誤差のうちだよリアちゃん。いい子だなー」
「……はぁ」
 イェンのため息はいよいよ深刻だ。
「まったく、これだけ集まると騒がしいことこの上ないな……ん?」
「なに? どうしたのイェン」
「……いや、誰か忘れている気がしてな」


「……くちゅんっ!」
「当主様、お風邪ですか?」
「いえ、ありがとうクリストファ、私は大丈夫です」


「んで、イェン。続きは?」
「続き……ああ、昔の話か」
 促すようなケーテの視線に、イェンは肩をすくめる。
「この先は、別につまらん話になるが」
「私との生活とか」
「ぶはっ!?」
 人差し指を立てて言うケーテに、思わず口に含んだ紅茶を噴出すイェン。
「げほ……げほ……なにを言うんだ、突然」
「昔の話をするなら、そこも話してほしいわね。私も聞きたいし」
「お前は一番よく知ってるだろう」
「でも、私のほかにも聞きたい人間が居るみたいよ?」
 言って示すのは、緑色。ロシェルは目を泳がせながら。
「べ、別に無理に聞くことはありませんけどーなんていうかまー色々とー」
 否定しながらも、体中から「聞きたい」というオーラが出ていた。イェンはがっくりとうな垂れる。
「あ、あのイェン様」
「……お前もかリア」
「いえ、それより、その……お姉さんが、どうなってしまったのか……私はどうして生まれたのか。私がここで生まれることになった理由……私、知りたいです」
「……そうか」
 まっすぐなリアの瞳に、イェンは一度だけ深い息を吐く。
「そうだな……幸い、補足をできる人間も来た。お前には、姉さんの身に起こったこと、当時の私のこと、話しておいていいかもしれん」
「あ、えっと、その」
 落ち着きなくこちらを窺うロシェル。イェンは苦笑する。
「ここまで聞かせてお前を除け者にしたら後々まで祟られそうだな」
「べ、別にそんなことはー……」
 ない、とは言い切れないロシェルだった。ぽりぽりと頬をかきながらちんまり正座する。
 イェンはその部屋に居る人間の顔を見回した。
「つまらん話になる……昔話だ」
 イェンは椅子に深く腰掛けると、目を閉じた。そして、再び静かに語りだした。


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