第二章 命の代価



「ケーテさんのところだったんですね。私、びっくりしましたよー」
「ああ、そうだな……」
 帰る道すがら、リアはイェンにしきりに話しかけた。今日あったことを、無邪気に報告してくる。彼女は、まだ二度しか街に出ていない。今日の買い物はきっと、彼女にとって大冒険だったのであろう。
「それで、そこのご主人さんがですねー……」
「そうか」
「むー、イェン様、聞いてます?」
 イェンの反応に、リアは少し頬を膨らませる。肩を振るわせようとするが、その動きのせいで彼女の手に在る荷物がゆらりと危うげに揺れた。イェンは苦笑しながらそれを支えてやる。
「あ、ありがとうございます……」
「聞いてるさ」
 持ち直したのを見届けると、再び視線を前に向ける。リアはそっぽを向くイェンにまたちょっとむーと唸るが、それでも冒険譚を続けた。
 それは本当に活き活きとした表情で、イェンは少しだけ目を細める。
(禁忌指定……か。命を作る、ということ……その結晶が、このリアなのだな)
「イェン様?」
「む、どうした?」
 顔を覗き込まれ、イェンは慌てて居住まいを正す。そんなイェンに、リアは少しだけ怪訝な表情。
「こっちのセリフですようー。私の顔見て……何か付いてます?」
 ぱっぱと顔を払いながら言う。
「さて、な……」
 空に目を移しながら、イェンは嘯(うそぶ)く。空は夕焼け、茜色が目一杯に飛び込んでくる。
(夕日は……好かんな)
 溜め息をつくイェン。目を手で覆い、首を振る。
 禁忌と言われた存在。命の代価に流された血は、この空を染めるほど。彼女を生み出すために、どれだけのものが犠牲になったのか。イェンはそれを後悔することはないが、目に飛び込んでくる赤は構わず彼の脳にしみこんでいく。
「わぁ、綺麗な夕日ですねー」
 突然聞こえたリアの言葉に、イェンははっとする。リアは、イェンと同じように大きな夕日を眺めながら、微笑んでいた。
「昼のまぶしい太陽も好きですけど……夕日って、優しいですよね。体が温かくなるわけじゃないですけど、こうやって世界中を包む、この赤い光は……本当に好きです」
 荷物を脇に置き、両手を広げて赤を体中に浴びるリア。彼女の言葉は、どこまでも無垢だった。そして、それを真実だとか虚実だとか、そういった拘泥なく、ありのままを見つめる瞳。
 イェンは、少しだけ自嘲する。何故、同じ物を見ているのに、自分はこんなにも余計なことを考えてしまうのだろうか。
 そういう目で見てみれば、なるほど、夕陽の光は優しくも感じられた。
「リアは……」
「はい?」
「……いや、なんでもない」
 話しかけようとして、やめる。禁忌のホムンクルス、人工生命。そんなことすら、余計なことのように思えた。
「むー、イェン様、やっぱりそればっかり」
 ぶーぶー言いながら、歩き出したイェンに追従するリア。丘の道を二人で歩いていく。
 と、イェンは道の端にある切り株に、人影を見つけた。人影も、イェンたちの姿を見止め、立ち上がる。
「あ、イェンさんに、リアさん」
「む……君は」
 こちらに歩み寄ってくる小さな人影。イェンは、少し目を細める。それは、今朝会ったばかりの人間だった。
「あ、フェリシテさん。こんにちはー」
 リアがぺこりと頭を下げる。それに対してフェリシテは微笑で返礼とする。
「どうしたんだ? こんなところで」
 この先には、自分の館しかない。イェンは少しいぶかしんで尋ねた。フェリシテは、イェンに向き直ると、
「ちょうど、あなた方のところに行こうと思って……いた……んで……」
 最後まで言い切ることなく、フェリシテはがくりと膝を付いた。
「おいおいおいおいっ!?」
「す、すみません……ちょっと、休まないと……」
 頭を抑え、少しだけ息を荒げながら、フェリシテは言う。イェンは少しだけ考えると、心配そうにフェリシテを見つめるリアに話しかける。
「リア、荷物を全部持てるか?」
「はい?」
「館で休ませた方がよかろう。私は彼女を運ぶ、だから荷物を頼みたい」
 言われた言葉を、少し頭の中で反芻するリア。そして、ぐっと拳を握り、にっこり笑った。
「任せてください!」
「そんな……大丈夫ですから……」
 自分の足で立ち上がろうとするフェリシテを半ば強引に背負う。少女の身体は、想像以上に軽かった。
「イェン様! 先に行ってます!」
「いや、絶対に無理だろうからゆっくり歩け」
「むぅ……」
 少し不満げな表情のリア(荷物でほとんど見えないが)を尻目に、イェンは自分の館へと足を速めた。

「申し訳ありません……」
 ソファに横たわりながら、フェリシテは傍らのイェンに頭を下げる。本当は、こうやって横たわることすら彼女は拒んだのだが、イェンが強引に寝かせたのだった。まぁ実際、貧血なのだとしたら頭を高くしている道理はない。
「気にするな。私も、血が足りないタイプの人間でな、フェリシテの苦しみは少しは分かるつもりだ」
 言いながらイェンは、手近な椅子に腰掛けようとする。椅子を引き寄せ、その背に寄りかかろうとして、違和感を感じた。
「む……?」
 その違和感の正体にはすぐに気付く。自身はまだ、外套を着込んだままだった。フェリシテに気を取られていて、そんなことにすら気付けないとは。
(まったく……情けない)
 心の中で苦笑しながら、イェンは外套を脱ぎ、机の上に無造作に置いた。
「イェン様ー、準備できましたー」
 そこにちょうどリアが入ってくる。その手には、包帯、注射器、メス、各種薬品、点滴器具に毛布からマスクまでを抱えていた。イェンは頭を押さえる。
「……リア」
「はい?」
「必要ないから全部戻し……いや、頭痛薬だけくれ」
「え、でも……」
「彼女には必要ない……というか、よくこれだけ集めてきたな」
 リアの身体は普通の人間と違う、それゆえにそこそこの器具は揃ってる自覚はイェンにもあった。しかし。
「……どこの危篤患者を相手にするつもりだ」
「……すごいですね」
 改めて全部並べられると壮観だった。横たわるフェリシテも、思わず上体を起こしている。
「リア」
「むー……」
 イェンに促され、リアはちょっと不満げに引っ込んでいった。
「ふふ……あまり邪険にしては、リアさんがかわいそうですよ」
「む……別に邪険には」
 フェリシテに言われ、イェンは少し頭をかきながら応える。少しだけ、気まずい思いを感じて、フェリシテから視線を外す。
「でも……今日二度目ですね」
「ん……ああ、そうだな」
 それきり、話題が途絶えてしまう。しばらく、イェンは外を眺めていた。
 やがて、フェリシテがぐっと起き上がった、それに少し遅れて、彼女の長い髪がさらりと肩から流れる。細い腕でそれを払うようにしながら、フェリシテはにこりと微笑んだ。
「ん、もう大丈夫なのか?」
「ええ、どうせただの貧血ですし」
 すたっとソファから降りるフェリシテ。少し足元はふらついているが、どうやらちゃんと立てる程度には回復できたようだ。
「あ、フェリシテさん、もう大丈夫なんですか?」
 荷物を置いて帰ってきたリアが、フェリシテに声をかける。ええ、と微笑むフェリシテに、リアは少しほっとした表情を見せた。
「心配かけましたね、リアさん。ありがとう」
「いえー、フェリシテさんが元気になったみたいでよかったです」
 ニコニコしながら、リアはフェリシテの手を取る。と、その瞬間、フェリシテの膝が少し折れた。リアは慌ててその身体を抱きとめる。
「だ、大丈夫ですか? やっぱりまだちょっと……」
「い、いえ……ごめんなさい、ちょっと気が緩んだだけです」
 リアの手を借り、フェリシテはまた立ち上がる。今度こそ、ふらつかずに立てたようだった。心配そうに見つめるリアに、フェリシテは大丈夫、と頷いた。そして、ぱんぱんと膝を叩くと、イェンのほうに向き直る。
「また、お世話になっちゃいましたね、イェンさん」
「いや、それは構わんが……大丈夫なのか」
「大丈夫、と言いましたよ?」
 ふふっと笑ってフェリシテは言う。それは言葉通りと言うよりは、「あまり追求してくれるな」というサイン。イェンは苦笑しながら肩をすくめた。
「帰るのか?」
「ええ、やることも溜まっていますし」
 あはは、と苦笑するフェリシテ。カーディガンを羽織って、そのまま髪を外に流す。ぱさっと宙を踊る髪。
「ん、ならば送っていこう」
 イェンの言葉に、フェリシテは少し驚いた表情を見せた。振り返ったフェリシテの目に飛び込んできたのは、外套を羽織ったイェンとリアの姿。
「え、でも……」
「フェリシテさん」
 フェリシテの言葉をリアがさえぎった。
「私たちは、送っていく、って言いましたよ?」
 先ほどの彼女の言葉を捩って、リアはにっこりと言い切った。それを聞いてフェリシテは目を丸くしたが、やがてくすっと笑いを漏らした。
「ふふ、そう言われては仕方ない、ですね。お願いします」
 ぺこりと頭を下げる。リアは顔をほころばせて、フェリシテの小さな手を取った。

 茂みの奥から、覗く目があった。きょろきょろと辺りに注意をしながら、イェンの屋敷に近づいていく。
「さてさて……噂の彼女はっと……?」
 窓から、ひょいと中を見る。
「スクープスクープっと……」
 屋敷の明かりは、完膚なきまで消えていた。一言で言えば、凄くまっくらだった。人の気配のまったくしない屋敷を見ながら、人影は首をかしげる。
「……あれ? 留守……?」
 冷たい宵の口の風が、人影をざざぁと撫でていった。


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