第二章 命の代価



「イェン、待ってよ」
「ん? ああ、ケーテか。何の用だ?」
 白衣に身を包んだイェンが、同じく白衣を着たケーテに言う。ケーテはイェンの隣に並ぶと、嬉しそうに笑った。
「お昼まだでしょ? 一緒に食べよ」
「ん、ああ……」
 特に断る理由もなく、イェンは頭をかきながら承諾した。

「で、今回は何だ? レポート課題は特に出ていないが」
 食堂でパスタをつつきながら、イェンはケーテに問いかけた。
「何だ、はないでしょ……大体、その言い方だと私がいっつもイェンのレポートを写しているみたいじゃないの」
「……違うのか?」
「違わないけどさ」
 キッパリと言い切るケーテ。イェンは、頭を抱えた。
「今日は純粋に、あなたと一緒に食べたかったの。文句ある?」
「いや、特に文句はないが……」
 言いながら、パスタについているグリーンピースをフォークで脇によける。そんな様子を見ながら、ケーテは嘆息した。
「ねぇ、イェン?」
「何だ?」
「私たちって、友達じゃないよね?」
「……それは関係破棄の宣言か?」
 サラダのトマトをころころ転がしているケーテの言葉に、イェンは訝しげな視線を投げかける。
「逆よ。……私たち、恋人よね?」
「……」
 ケーテから視線を外す。それは、別にイェンの心の中にやましいものがあるからというわけではなく、ただ単にケーテと関係を結んだという事実が気恥ずかしかったからだ。
 しかし、ケーテはそうは受け取らなかったようで。
「何よそれ。私と一緒に居ても楽しそうじゃないし、ぜんぜん喋ってくれないし。イェンは……やることやったらポイなの!? そういう人間なの!?」
 ケーテのセリフに、学食中の視線が二人に集まる。イェンは慌てて、ケーテの言葉を遮ると、
「ひ、人聞きの悪いことを言うな。……慕情はあるさ。世間一般で言うところの恋人同士なのだろう、私達の関係は……まったく、そんなことをいちいち言わせるな」
 ぼそぼそと言葉を紡ぐイェン。その言葉に、ケーテはようやく安堵を見せる。
「……もう、相変わらずの口下手なんだから」
「仕方なかろう……生まれつきだ」
 イェンはふん、と息を吐きながら言った。

 あの頃のケーテは、イェンと常に行動を共にしていた。イェンもそれに、気恥ずかしさはあれど一度たりとて疎ましいなどと思ったことはなかった。
 しかし、研究室からホムンクルスの研究を盗み出す時、彼は初めてケーテを裏切った。
 施設の外で、雨に打たれながらイェンを待っていたケーテに、イェンは冷たく、
「どけ」
 と一言だけ叩きつけ、逃げるように外に出た。その後ろで、ケーテはただイェンをじっと眺めていただけだった。
 雨に紛れて、彼女の瞳から流れ落ちる雫を振り切るように、イェンは走り出す。
 泣かせたくはなかった。
 ただ、彼女を巻き込みたくなかったのだ。

 しかし、逃げてからしばらくは彼女の瞳を夢に見た。
 その瞳は、イェンを責め、蔑んでいるような……そんなまっすぐな彼女の視線に、言い訳をするように夢から覚める日々が続いていた。
 その瞳が彼の夢を見つめるたび、ただ、違う、違うと心の中で叫ぶ。

 がばっ!

「……はぁ……はぁ……」
 イェンは息を荒げながら、勢いよく身を起こした。久々に見た旧友の、パートナーの夢に汗がびっしょりだった。
「ふぅ……最近は、見ることもなくなったのだがな……」
 彼は毛布を払いのけながら、頭を振る。最近は見なくなっていたというのに、どうしたことか。
(やはり……本人と再び逢ったからだろうか)
 膝までのけられた毛布で、額の汗をぬぐう。
(……毛布?)
 そこで初めて、自分が屋内にいることの不自然に気付く。結局、あのまま外で眠ってしまっていたはずなのに。
「あ、起きました? 今コーヒー持ってきますねー?」
 ぱたぱたと、リアが駆けながらこちらに声をかける。「あんまり走ると……」と声をかける暇もなく、盛大にすっ転ぶリアに、イェンは覚醒早々の眩暈を覚えるのだった。
「ほら、掴まれ」
「す、すみませんー……」
 己の手に縋って立ち上がるリアに、とりあえずは溜め息一つのイェン。きちんとリアが自分の足で立ったのを見届けると、手を離し、
「そういえば……私を中まで運んで毛布まで。手間をかけたな」
「あ、いえ、その……」
 言いよどむリア。目がこれでもかというくらいに泳いでいた。ぴっと親指を立て、にっこり微笑みながらこう言った。
「その……妖精さんだと思いますよ?」
「いや、まぁ……ケーテか?」
 イェンの言葉に、リアはぴっと身体を跳ねさせた。あたふたと言葉を紡ぐ。
「あ、いえその、本当に妖精さんがやったって言えって、あの、別にそんな、口止めなんかされてるわけじゃないんですよ? あの……」
 リアの言葉を聞きながら、イェンはまた一つ大きな溜め息をついた。そして、誓う。
(……リアとは、今後隠し事は一切共有するまい)
「んぅ……」
 テーブルの上で、なにかの気配がした。イェンは慌ててそっちを振り向く。
「……なんだこれは」
 テーブルが、ベッドになっていた。正確に言うなら、テーブルの上に布団が敷かれ、そこに女の子が横たわっていた。
「あ……ここは……」
 むくり、と緩慢な動作で起き上がった少女は、きょろきょろと周りと見回す。
「目が覚めたようだな」
「ひゃっ……あ、あの……」
 突然声をかけられて驚いたのか、少女は己の身体にかけられた毛布を手繰り寄せながら、イェンを見る。
「どうやら、倒れていたらしいのでな」
「あ……」
 昨日の己を思い出したのか、少女の顔が少し紅潮する。上目遣いでこちらを見ながら、おずおずと問いかけてくる。
「あの……あなたが助けてくれたのですか?」
「いや、妖精だ」
「……はい?」
「……なんでもない」

「……イェンさんに、リアさんですか。私、フェリシテ=ラ=アル=シャルロワって言います」
 食卓で紅茶のカップを上品にすすりながら、少女はにこりと笑った。朝食がてら事情を説明しようと思ったのだが、よく考えたら特に何も説明することもなかったので急遽始まった自己紹介合戦。
「フェリシテ……ふむ、どこかで聞いた名だな……」
「あははー……」
 イェンの呟きが聞こえたのだろう、フェリシテは苦笑しながら頬を掻いた。
「ご存じないですかね……一応、私この町の領主なんですけど……」
「おお」
 ぽむ、と手を叩く。
「そういえば、町の領主は歳幼い少女であるという話を聞いたな。そうか、君がその領主だったのか……」
「イェン様よくわかんないんですけど……」
「あとで説明してやるから黙っていろ」
「うー」
 むーと膨れながら、それでも空になったイェンのカップに紅茶のお代わりを注ぐ。それに口をつけながら、イェンはフェリシテを見た。なるほど、そう言われれば領主としての気品などは備えているように見える。初めて見たときに感じたのは、それだったかとイェンは今更ながらに得心した。
「しかし、なぜ倒れていたのだ? 領主の館は確かここからはそこそこの距離があったように記憶しているが」
「それは……その」
 ちょっと顔を赤らめて目を逸らすフェリシテ。歳相応の動作なのだが、先だってからの彼女の所作から見ると、かなり幼くなったように感じる。
「散歩を、していたのですが……私、ちょっと貧血気味で」
「……ふむ」
「それに、太陽も強かったですから……少し、それで……」
「大丈夫ですか?」
 説明をするフェリシテに、リアは心配そうに声をかける。それににっこりとした微笑で返事とするフェリシテ。見た目だけで見ると、年上年下が逆転してるようだった。しかし、リアは生まれてまだ三月経っていないわけで、そうするとやはりフェリシテのほうが年上と言うことになり、この構図は正しいということになるが。
(……まぁ、どうでもいいか)
 最近、どうでもいいことを考えすぎる気がする。イェンはふるふると小さく頭を振った。
「まぁ、病弱ならば尚更のこと、己の身体には気を遣わんとな」
「ええ、ちょっと軽率でしたね……」
 やや自嘲気味に俯くフェリシテに、イェンは慌てて言葉を接いだ。
「いや、責めているわけではない」
「ふふ、分かってますよ。優しいですね、イェンさんは」
 イェンの言葉に、フェリシテはにっこり笑う。少女の所作に、イェンは軽く脱力した。リアのことは笑えない、己もこの少女より下にいる気がした。
「しかし、ケーテさん……ですか。あとで礼を言いにいかなくてはなりませんね」
「ああ、なんなら私から伝えておくが」
「いえ、私自身で礼を言わないと気が済みませんから」
 言うフェリシテに、イェンはこれ以上は言えなかった。何となくだが、この少女は何を言っても聞かない気がした。
 何ともいえない沈黙。イェンはちょっと考えて、話題を探した。居辛いという訳ではないが、なんともいえないこの空気を変えたいと思う自分がいた。
「そういえば、すまなかったな。質素な食事で」
「む、質素とは失敬な。私も手伝いましたよ?」
 イェンの言葉に、再びリアが口を挟む。それに対して、イェンは恒例の溜め息。
「ああ、盛り付けだけな」
「あうーん」
「ふふ……仲がよろしいんですね」
 フェリシテは、微笑みながら二人を見ていた。そして、目を閉じながら思いだすように、慈しむように言った。
「……いえ、とても美味しかったですよ」
「口にあったのなら、良かったのだが……」
「ふふ、イェン様。領主だからといって贅沢三昧というわけではないのですよ?」
 少しいたずらっぽい笑顔で、フェリシテはイェンに言った。
「む、す、すまない……」
 それが何となく諌められているようで、イェンは反射的に謝っていた。
(むぅ、ケーテとは別の意味でやりにくい相手だ……)
 つくづく、妖精ことケーテが先に帰っていてよかった、などとイェンが考えていると、フェリシテは行儀よく立ち上がった。
「……イェンさん、お世話になりました。もう大丈夫ですので」
「あ……ああ、そうか」
「ほんとーですか? 無理してません?」
 リアはまだ、少し心配そうだ。ケーテと共に治療に当たった彼女だが、何か思うところがあるのだろうか。そう言えば、リアは病人と言うものを見たことがないのだった。
「リア、本人が大丈夫だといって……」
「ふふ、ご心配ありがとうございますね、リアさん」
 諌めようとするイェンの言葉をさえぎるように、優雅な礼で返すフェリシテ。それは態度で「その子を諌めるのは違う」と言われている様で、イェンはなんとなく気恥ずかしく目を逸らした。
「それでは、お二方。また、いずれお礼に参りますね」
「いや、特に気を遣わなくてもいいが……」
「いえ、参りますから」
 にっこりと、言い切られてしまった。少し気圧されているイェンとは対照的に、リアは微笑みながら、
「お待ちしておりますね」
 などと言っていた。イェンはちょっとした気疲れを覚え、本日何度目になるか分からない溜め息を空に漏らした。


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