「……驚いたわ、正直。あなたがホムンクルスの研究を続けていたなんて」
話を全て聞いたケーテは、第一声イェンにそう言った。
「しかも……名前は、リア。……正直、一瞬正気を疑ったわ」
「仕方なかろう。彼女自身がその名前がいいと言ったのだからな」
言って肩をすくめるイェン。
「彼女って、“ホムンクルス”の彼女?」
「ああ。響きが好きなんだそうだ……さすがに最初は抵抗があったが、もう慣れたよ」
「そう……あのことはもう、吹っ切れたの?」
おずおずと尋ねるケーテに、イェンは苦笑しながら応える。
「……いや、忘れられないからこそ、リアを作ったんだろう」
「あ、あの……」
と、突然部屋の入り口から声をかけられて、二人はそちらを振り向く。
「お茶をお持ちしたんですが……」
こちらを覗き込むようにしてみているリアに、二人はぱっと距離を離した。
(な、何だこの居心地の悪さは!? べ、別にやましいことなどしていないというのに!)
(何で、こんなにどぎまぎしてるのよ、私!?)
両名とも高鳴る胸を押さえながら、リアの方へ笑顔を向ける。
「あ、ああ……置いといてくれ。あとで飲む」
イェンの言葉に、しかしリアはむっと顔をゆがめる。
「だーめーでーすー! 今飲んでください。さぁ! 今! すぐに!」
「な、何だ突然……」
「だって、イェン様いつも『あとで飲む』って言ってぜーんぶ残すじゃないですか!」
「い、いやそれは……」
「くく……ふふふふふ……」
突然漏れてきた笑い声に、イェンはぎょっとしてケーテの方を見る。
「あなた……面白いわね。イェンみたいな詭弁家を言葉だけで圧倒するなんて、よっぽどの才能よ?」
「え、えっと……あ、ありがとうございます」
その時、イェンは気付いてしまった。静かに、しかしその内に怒りを込めて言葉を挟む。
「……リア」
「はい? 飲んでいただけますか?」
「よく考えたら、ケーテがここにいるということ自体がおかしいんだ」
「あ……」
しまった、とリアは今更ながら自分の落ち度に気付いた。
「私は、この館には私たち以外は入れるなと言っていたはずだ。町の人間も基本的には入り口で用を済ませてしまうしな」
「……」
そこまで言うと、イェンは一度言葉を切り、大きく息を吸ってから……。
「なのに! なぜ! 町の人間でもないし、この館の関係者でもない人間を! あっさり! すんなり! 部屋まで通したッ!?」
「ひっ……!」
首を亀のように縮めながら、リアはイェンの叱責を黙ってその身に受けた。
「まぁ、いいじゃないの。盗られるものもどうせないんでしょう?」
ケーテがイェンとリアの間に身体を割り込ませながら言う。
「それに、関係者じゃないなんてよく言えるわね。一度は寝食を共にした身なのに……私の処女を奪ったのは誰だったか、それも忘れるほど不誠実な男だったのかしら?」
「ばっ……リアの前で変なことを言うな! それに、もう終わったことだろう?」
「勝手に終わらせないでほしいわね。私は別に終わったつもりはないわよ?」
そう言うと、イェンにしなだれかかるケーテ。それを慌てて引き剥がしながら、イェンはリアに、
「と、とにかく! これからは、来客は一度私に伺いを立ててから入れてくれ」
と、言い聞かせる。もともと、逆らう気などまったくないので素直に頷くリア。それを見て、ケーテもリアに、
「私は関係者だから、これからも素直に通してね、リア……ちゃん」
まだ名前を呼ぶことには抵抗があるのか、一瞬詰まるケーテ。しかし、そんなことには気付いていないのか、笑顔で「はい!」とか頷くリア。
その様子に、イェンは頭を抱えるしかないのだった。
「でも、やっぱりあなただったのね。研究室からホムンクルスの資料を持って行ったのは」
リアに退席してもらってから、ケーテはイェンに話しかけた。
「……ああ、私だ。軽蔑したければ勝手にしろ」
「それは……やっぱり?」
その先は言いにくいのか、口ごもってしまうケーテ。
「……それもあるが、研究室の奴らも気に入らなかった。道具として命を弄ぶようにしか見えなかったからな」
「道具?」
「ホムンクルスについて、概要は知っているな?」
イェンの問いに、ケーテは一瞬天を仰ぐ。かつて知識として学んだことはあったが、必要ないと脳の引き出し奥底にしまいこんだものを探る。
「純度の高い水溶液の中でのみ生きられる、超知識を持った小型の人工生命体。そう記憶しているわ」
「ああ、かつてのホムンクルスとはそういったものだったと記録されているな。……神話の中でのみだが。しかし、姉さんの研究していたものは違った。それは……」
そこで、いったんイェンは言葉を切り、窓の外を示す。
「あれだ」
そこには、庭で洗濯物と格闘しているリアの姿。
「つまり、人の代替としての人工生命。姉さんは、純粋に『人の創造』という、神の領域に挑戦しようとしていた。だから、厳密にはホムンクルスとは別のものなのだろうな、代替する言葉が見つからないから機能的にそう呼んでいるが」
「ふーん……」
窓から、リアの様子を眺める二人。太陽の光を吸い込んだ洗濯物を両手に抱え、
「あ、転んだ……」
「……洗濯、やり直しね」
二人して嘆息する。そんな視線には気付かず、慌てて地面に散乱した洗濯物を回収するリア。その様子は、彼女のかもし出す雰囲気と相俟って非常にほほえましい。
「姉さんが一生懸命研究していたのがあれだ」
先ほどと同じ言葉を紡ぐイェン。しかし、その意味は百八十度違ったものだということは、誰の耳にも明らかだった。
「しかし……くっくっくっく……」
「……どうした?」
目を閉じて笑うケーテに、イェンは怪訝な視線を向ける。
「あなた、『リア』には敵わないのね。昔も今も」
「……放っておけ」
不機嫌な声を発する男に、もう一度ケーテはくっくと笑った。どうやらこの笑いは彼女が新たに得たクセらしかった。
「さて、と……」
ケーテは、窓から離れると、イェンに向き直った。
「……また、来るわ」
「止めても、どうせ無駄なんだろう? なら私は止めない」
「分かってるじゃない。……じゃあ、また」
「ああ、待て」
行こうとするケーテの背中に、言葉を投げかけるイェン。立ち上がり、ケーテのそばまで歩み寄る。
「入り口まで送ろう。どうせリアを迎えに行かねばならん」
「あら優しい。さすがは私のダーリン」
「……窓から直接帰るのと、玄関から五体満足で出るのとどっちが好みだ?」
震えながら言うイェンからさっと身を引きながら、ケーテは笑って先導を促す。イェンは頭を抱えながら、それでも彼女をエスコートした。
「ケーテ……」
「ん? なに?」
「……変わったな」
イェンの言葉に、ケーテはふっと笑みをこぼし、言った。
「そういうあなたは、変わってないわね」
玄関まで来たところで、洗濯物を抱えたリアと遭遇する。イェンと顔を合わせづらいのか、ろくに挨拶もしないで通り過ぎてしまうリアの様子に、二人は図らずも顔を見合わせて苦笑してしまう。
「じゃあ、ここまでね。今度は、私の医院にも遊びに来てくれる?」
「そんな暇はないが……まぁ、暇ができたら考えよう」
「あ、ケーテ様、帰っちゃうんですか?」
奥の方から、リアが顔を出す。イェンの顔をちらちらと見ながら物陰から伺っているリアを、イェンは手招きで呼び寄せる。
「ふふ、私は『様』付けで呼ばせて喜ぶ趣味はないわ。ケーテさんで充分」
「いや、私にもそんな趣味は……」
言うイェンを押しのけて、ケーテはリアの手を握る。
「また、近いうちに来るわよ。今度は、あなたともゆっくり話したいわね」
「はい、お待ちしております」
「……リア」
「あっ……いえ、あの……でも……」
「こら、イェン。いくらリアちゃんが可愛いからって、困らせて遊ばないの。……じゃあ、またね」
最後にイェンの額をちょんと小突いてから、ケーテはイェン邸を後にした。
「まったく、人騒がせなところは変わっていないな。うるさかっただろう、リア」
「明るくて、良い方だと思います」
ニコニコと笑いながら、リアはイェンを見る。
とりあえず、リアの「人を見る目」はなかなかのものだな、などと思いながら踵を返した途端……。
がちゃっ。
「ただいま」
「早いなおい!」
ケーテが再び館の中に入ってきた。見ると、その背中には一人の人間を負ぶさっている。年の頃なら十四、五くらいであろう。長い腰までの髪はしっかりと手入れされており、またその服装や雰囲気からは一定以上の気品を感じる。
「この子、今館の敷地の外に倒れていたのよ」
その積荷を降ろしながら、ケーテはイェンに説明する。
「……それで、なぜ私のところに持ってくる?」
「トラブルと言ったら昔からイェンの管轄だったでしょう?」
「何だその理論は!」
「冗談はともかく、どういう状況か分からないから滅多なことはできないのよ。ソファ借りるわね」
そう言うと、手に提げていた鞄の中から仕事道具と思われる物品を広げ始める。イェンは文句を言う暇も有らばこそ、ケーテの指示に従って少女をソファに慎重に寝かせる。この辺が、彼女が本当に医者であるのだな、などとイェンは感心した。
「リアちゃん、ちょっと手伝ってくれる?」
「は、はいっ!」
「私は、どうしたらいい?」
「イェンはとりあえず、家の外に出てなさい。邪魔よ」
「その扱いには承服しかねるのだが……」
「……この子の服、脱がすんだけど? そんなに見たいの? ひょっとして、小さい子が好みなのかしら?」
「……何か用があったら呼んでくれ」
悪戯っぽく言うケーテに対し、イェンはそれだけ言うと、少し寂しげに外へ出た。
(まぁ、任せておこう)
ともすれば、「仲間はずれ」などという年甲斐もない思いが生まれてしまいそうな心を誤魔化す。
「しかし……綺麗な少女だったな」
先ほどの少女を思い出す。
『この子の服、脱がすんだけど?』
さきほどのケーテの言葉がリフレインする。それと共に膨らむイマジネーション……線の細い、まだ未発達の少女らしい白い身体……。
「待て待て待て待てっ!」
慌てて、頭の中に生まれた少女の裸身を掻き消す。なんてことを考えていたのか。
(まったく、十代の若者ではないんだぞ!?)
「……ん?」
そんな折、イェンは視界の端に人影を見たような気がした。しかし、そちらを振り向いても誰もいない。
「……気のせい、か?」
あとから考えてみれば、こんな場所に人影があること自体が珍奇なことなのだ。しかし、その時のイェンはそんなことにすら気付かなかった。
イェンは、自分の屋敷を顧みる。そういえば、自分はこの町に来てから、屋敷の外に出ることは少なかったように思う。
「リアが生まれてから……変わってきたな、全てが」
中で奮闘しているであろうリアとケーテの姿を想像し(治療を受けている方は極力想像の外に追いやって)、また、おとなしく外で時間を潰している自分の姿を顧みながら、イェンはそうしみじみと感じたのだった。
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